ブラジルといえば、サッカーやオリンピック、あるいはアマゾンの自然などが思い浮かぶかもしれませんが、忘れてはいけないのはなんといってもサンバ。
特に世界最大のサンバのカーニバルであるリオのカーニバルは100万人を集める世界最大の祭典です。
実は南房総でも、毎年多くの観客を集めるサンバカーニバルが開催されています。
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大人気の千倉サンバフェスタ
南房総で毎年夏に開催されるサンバカーニバル、それが「ちくらサンバフェスタ」です。
ちくらサンバフェスタは毎年夏に千倉で開催されるサンバのイベント。
地元の人だけではなく、浅草サンバカーニバルにも参加する日本屈指の実力を持ったサンバチームなども参加、夜には花火も打ちあがり、毎年大きな盛り上がりを見せるイベントです。
さらに会場には「熱帯屋台村」も登場。
こちらは単なるお祭りの屋台などとは異なり、味とサービスの面から出展者を厳選、そのため選りすぐりの味が味わえます。
こちらも地元の有名店や人気店はもちろんのこと、東京のラテンバーや千葉の有名店など、めったに屋台での出店のないお店も参加、本格的な味とムードが味わえると大人気です。
ちくらサンバフェスタの歴史
出典:千倉DEサンバオフィシャルサイト
ちくらサンバフェスタが開催されたのは平成16年。
千倉のファンだったというサンバチームの設立メンバーの呼びかけによってはじめて開催され、第1回にもかかわらず1000人近くの観客を集めて評判となりました。
その後、2年間にわたって開催されていましたが、運営メンバーが体調を崩したということもあり、残念ながら休止となってしまいます。
そのちくらサンバフェスタが復活したのが休止から6年後のこと。
千倉を盛り上げ、地域社会に貢献したいという思いから千倉漁港広場を舞台に再開されるようになりました。
現在では漁港の建物が老朽化したことから、千倉の道の駅「潮風王国」に会場を移して、毎年の夏の千倉の風物詩として地元の人に愛されるようになりました。
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なぜ日本ではサンバカーニバルが盛ん?
毎年大きな人気を集めているちくらサンバフェスタですが、なぜ日本では各地でサンバカーニバルが行われているのでしょうか?
実は日本のサンバカーニバルの歴史は戦争直後である昭和20年代にさかのぼります。
当時日本ではラテン音楽が大流行、「サンバ」と名付けられた多くのヒット曲が生まれます。
しかし実際は、「サンバ」という曲名でも、その中にはサンバだけでなく、マンボやルンバなどのリズムも含まれていました。
しかし日本ではなかなか南米文化が正しく紹介されてこなかったこともあり、「南米風のダンス音楽」はすべてサンバと呼ばれるようになりました。
その後、「神戸まつり」でサンバが地域イベントのひとつとして開催、さらに「浅草サンバカーニバル」が行われると、サンバが多くの観客を集客できるということが広がり、日本各地でサンバイベントが開かれるようになりました。
南房総でもちくらサンバフェスタには多くの人々が千倉に集まり、夏の観光に一役買っています。
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