館山の祭りの伝統 時の流れで失われつつある

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館山は全国的に見ても非常に祭りが盛んな土地柄です。

7月の夏祭りの時期には、毎週末になると各地の神社でお祭りが行われるほか、9月から10月にかけての秋、年が改まる1月から3月にかけても、館山各地でにぎやかなお祭りが繰り広げられます。

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近郷の神輿(みこし)が集合

出典:南房総花海街道

館山のお祭りといえば、九月に行われる「安房国司祭り」(通称やわたんまち)や、十月の「南総里見祭り」、七月に行われる館山地区の合同のお祭り「館山地区例祭」などが有名ですが、それ以外にも各地で有名なお祭りが行われます。

まず、最も由緒があるのは八月十日に「安房神社」で行われる「安房神社例祭」です。

安房神社は今から2600年以上前の神話の時代、神武天皇の命を受けた天富命が房総半島の南に上陸したときにまでその由来がさかのぼるという日本有数の由緒ある神社。

そのため、安房神社での祭礼は別格の格式を誇ります。

祭礼では、房総ならではの海の幸や山の幸が積み上げられ、一年の平穏と地域の幸福への祈りがささげられるとともに、その後神輿が町の中を練り歩きます。

さらに夕方になると、近郷九つの神社からも神輿が集まり、神輿の奉安も行われる、お祭りらしいお祭りです。

また、安房神社同様に長い歴史と伝統があるのが「布良の祭礼」。

こちらは安房神社の下社として知られる布良崎神社の祭礼です。

神社の特徴は主祀神のほかに七柱の神様がお祀りされているという点。

そのため、行われる祭礼も非常にさかんなものです。

「布良の祭礼」で有名なのは「大天皇」と呼ばれている巨大な神輿。

この神輿の重さは米俵でいうと百数十俵という非常に重いもので、もちろん、担ぐには非常な力が要りますが、そこは漁師町のことで、男たちは名誉と意地を掛けて一トン近い重さの神輿を担ぎ、漁師町の狭い路地を練り歩きます。

かつては女装した男衆たちが神輿を担いで海に入る「お浜下り」も行われていたといい、その勇壮な様子は教科書などで有名な明治を代表する洋画家であった青木繁の代表作「海の幸」のモデルになったのではないかともいわれています。

現代では「お浜下り」で海に入ることはありませんが、巨大な神輿を担ぐ勇壮な風景は当時の祭りをほうふつとさせてくれるはず。

なお、布良崎神社は絶好の夕日が眺められる夕焼けスポットとしても非常に有名な場所。

特に神社の境内からは、一の鳥居と二の鳥居の真ん中に富士山が見え、その富士山と夕日、そして神輿が並ぶ風景は、この祭りでしか楽しめないものとなっています。

また、安房神社と対として語られることの多い「洲崎神社」の祭礼も有名です。

洲崎神社は小高い丘の上にありますが、そこから神輿が下りてくる様子は大迫力。

神輿とはもともとは神様の乗り物を意味するものですが、百四十八段の階段を大小の神輿が行列とともにやって来るところを見れば、そう呼ばれることも納得です。

なお、この日には無形文化財にも指定されている「みのこ踊り」の奉納も行われます。

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館山でお祭りが盛んな理由

大きなお祭りを除いても、各地では個性豊かな祭礼が行われている館山ですが、それではなぜ館山は祭りが盛んな地域なのでしょうか。

その理由のひとつには、館山が海と山の幸に恵まれた場所ということがあげられます。

お祭りを行うには、それなりの資金が必要になりますが、館山は農業と漁業、さらに陸上・海上の交通の要衝として非常に重要な場所であったことから商業も発展、そのため、館山は他の地域に比べてはるかに高い生活水準を維持していました。

そのため、各地区にお祭りを行える余裕があっただけでなく、その地区ごとの神輿や山車にもぜいたくなものを用意することができたのです。

また、海が近い土地柄は、信心深い人々の心を育てていきました。それも館山が豊かなお祭り文化を育てた一因ということができるでしょう。

失われつつある祭り文化

このように、数多くのお祭りが行われる館山ですが、現在では、人口の減少などによってお祭りの規模が縮小されたり、内容が変更されたりということも増えています。

たとえば「相浜神社」。

相浜神社は、非常に歴史のある神社で、かつては盛んに祭りが行われていました。

出典:南房総花海街道

中でもクライマックスは、船をかたどった大きな山車である「御船」を引き回す曳舟で、その盛大な様子から「曳舟祭り」とも呼ばれていましたが、現在は引手の数が不足していることから、お祭りは神社内でお囃子と踊りが奉納されるものとなっています。

また館山でも最大の港町である船形地区の氏神様である「諏訪神社」の例大祭は、周辺地区から神輿や山車などが集まる盛大なもので、二日にわたって行われる祭りでは、歩行者天国なども設けられて大きな賑わいとなりましたが、しかし2017年3月に諏訪神社が放火によって火災に遭い、神社の本殿や拝殿などが全焼する事態に。

そのため、今後の祭りの開催が危ぶまれています。

ただし、館山には祭りを守ろうという風土が根付いた土地。

これからも館山の祭りが継続・発展していくことを心から願いたいですね。

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