
『那古寺(那古観音)』は、館山市の北端付近に位置するお寺です。
行基による717年(養老元年)創建と伝えられ、由緒あるお寺として古くから親しまれています。
奈良時代の僧・行基は布教が禁止された厳しい時代にも活動を続け、当時から現代に至るまで多くの人から尊敬を集める存在なのです。
スポンサードリンク
銅造千手観音
出典:千葉県
那古寺の本尊には鎌倉時代末期につくられた「銅造千手観音立像(どうぞうせんじゅかんのんりゅうぞう)」が置かれ、未公開ですが国の重要文化財に指定されています。
像高約105㎝で、42の手を持つ。頭部から体躯の中心部は一度に鋳造し、合掌手と宝鉢手は別に鋳造し、肩の部分で取り付けている。
左右の手は前6手、中7手、後6手と3段に分け、前後の手を中段に釘で止め、中段を体部に差し込んでいる。
髪は一本一本毛筋を立て写実的な描写がなされている。
顔は目、鼻、口を集中させ、ほほに張りを持つきびしい表情であるが、生命力を感じさせる。
手の多い難しい姿であるにもかかわらず、バランスも整い、鋳上りも優れていて、当時の鋳造技術の高さもうかがい知ることができる。
像の脇のつなぎ目に「平胤時」の刻銘があり、これは「吾妻鏡」にその名をみる千葉八郎胤時と考えられ、鎌倉時代初期の造像であることが確認でき、この時期の東国武士の信仰による確実な造像例として貴重である。
引用:千葉県
造阿弥陀如来坐像
出典:千葉県
このほかにも千葉県指定有形文化財指定・造阿弥陀如来坐像や多宝塔と観音堂など、豊かな文化財でも那古寺は有名です。
千葉県指定有形文化財指定・造阿弥陀如来坐像(もくぞうあみだにょらいざぞう)
像高約140cm。1本のヒノキ材をつなぎ合わせ、内刳りを設けている。
体は漆箔で、衲衣には黒漆を塗り、銅板製の白毫をはめ込んでいる。
現在は木製の眼をはめ込んでいるが、元は玉眼と思われる。
穏やかで円満な顔立ちで、上半身は背が高く、左右の足の甲をそれぞれ反対の足の腿の上に乗せ、堅く足を組んで座る結跏趺坐の姿勢である。
頬や両膝あたりの肉付きは、穏やかなうちにも自然の起伏が表わされ、安定した趣がある。
鎌倉時代初頭の、やや保守的な傾向を示す彫刻として、貴重なものである。
像の胎内には元亨4年(1324)に、高橋景綱と平重行が檀那となって修理したことを示す墨書銘があるほか、像底には元禄地震後の那古寺再建期にあたる明和4年(1767)の修理銘もあり、歴史資料としても注目される。
引用:千葉県
南房総エリアには鎌倉時代に始まったとされる安房国札三十四霊場巡りがあり、那古寺は打ち始めの第一番札所となっています。
また、全行程約1300kmの「坂東三十三霊場」でもあり、毎年たくさんの巡礼者が集まるお寺です。
坂東三十三観音の納札所の結願所
創建は養老元年( 717年)に行基が海中より得た香木で千手観音を刻み、ここに一宇を建てて祀ったのが始めと伝えられています。
以来、源頼朝をはじめ、足利尊氏、里見義実、徳川氏らの武家の信仰を集め栄えました。
本尊の木造千手観音立像は、高さ 1.5mのクスの木の一本造です。
ほかに、鎌倉末期作の銅造千手観音立像(国重要文化財)や繍字法華経普門品など多数の宝物があります。
境内の多宝搭は、宝暦11年(1761年)の建立で、三間四方銅板葺で構造や彫刻装飾には、江戸中期の様式を示す建造物で、大日如来像が安置されています。
引用:南房総いいとこどり
那古寺(那古観音)の所在地は、市街地エリアで道路はやや狭くなっていますが、境内の裏山には館山市天然記念物の自然林が広がり、全体的に落ち着いた雰囲気に包まれています。
アクセス
那古寺(那古観音)
所在地:千葉県館山市那古1125
TEL:0470-27-2444
車
富津館山道富浦IC~那古寺(那古観音)約5分
電車
JR那古船形駅下車 徒歩7分又は日東バス「南無谷行き」那古下車
スポンサードリンク