大阪道頓堀と千葉県南房総に共通点!?

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「道頓堀」といえば大阪を代表する繁華街。最近では外国人観光客にもグリコの看板などが人気のスポット。

道頓堀と南房総は一見、なんの関係もないように思えますが、実は「南房総と道頓堀」には深いつながりがあるのです。

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道頓堀の歴史

道頓堀とは、大阪市中央区の戎橋を中心とした道頓堀川沿いの繁華街のこと。

江戸時代に大阪の運河を開発する責任者である「新川奉行」という役職にあった「安井道頓」の名前に由来すると言われています。

「新川奉行」だったとはいえ、実は安井道頓はもともとは武士ではなく、商人の出身。

大阪の発展には運河の開発が欠かせないと考え、豊臣秀吉に直接開発の許可を求めただけでなく、自らの私財を投じて道頓堀の運河開発を行いました。

しかし、道頓堀の開発中に大阪夏の陣が起こります。

開発の許可をもらった秀吉の恩に報いるため、安井道頓は大阪方であった豊臣秀頼に味方するため大阪城に入城しますが、戦闘中に討ち死に。

その後、安井道頓の従兄弟や縁者が志を継ぎ、運河を完成、当時の大阪城城主であった松平忠明が道頓の死を追悼、また私財を投じて大阪の発展に尽くしたことを賞賛して「道頓堀」の名前を残したと伝えられています。

やがて江戸時代の中頃には、道頓堀川の南側には芝居小屋が、北側には芝居見物に来た客の食事や飲み物を提供する芝居茶屋が立ち並び、現在の繁栄の基礎が作られました。

その影響で、現在も川の南には娯楽施設、北側には飲食店が集中しています。

道頓堀と南房総のつながり

そんな道頓堀の北側で提供される食事の中で、大阪名物のひとつに数えられるのが「はりはり鍋」です。

「はりはり鍋」はクジラと水菜を用いた鍋料理で、「はりはり」という名前は水菜の触感から由来すると言われています。

「はりはり鍋」は大阪の庶民の味として親しまれてきましたが、大阪で「はりはり鍋」が盛んに食べられるようになったのは冷凍技術が発展した明治ごろと言われています。

そして関西で捕鯨といえばオキゴンドウなどを中心に小型捕鯨の漁を行う和歌山県太地町。

実は太地町も、南房総の和田浦と同じように、今現在でも日本で捕鯨が行われている数少ない場所として知られています。

つまり道頓堀と南房総の共通点は「クジラ」なのです。

産地であった太地町では新鮮なクジラが手に入るため刺身などがメニューの中心でしたが、いくら冷凍や輸送の技術が発達しても、大阪の道頓堀まで新鮮なクジラを届けるのは非常に難しいことでした。

そのため、「はりはり鍋」が発展、道頓堀では明治の初め頃には多くの専門店が軒を連ねて、出汁やクジラ肉の切り方、使用する部位など様々に工夫を凝らして人気を獲得。

「はりはり鍋」を提供する店では、カツオと昆布でしっかりと出汁を取ったもの、あるいは水菜の水分だけで出汁を使用しないものなども生み出され、大阪の定番メニューとなっていきました。

現在ではすっかり高級品になってしまった「はりはり鍋」ですが、南房総の「くじらのたれ」と同様に、今でも大阪・道頓堀では人気メニューとして君臨しています。

房総名物「くじらのたれ」ハクダイ食品は昭和3年から続く老舗

通販ではりはり鍋

はりはり鍋(楽天市場)

はりはり鍋(amazon)

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