出典:たてやまGENKIナビ
「唐桟織」(とうざんおり)は館山を代表する織物のひとつです。
細い木綿の糸を使用して織り上げられた布地は江戸時代に大流行し、現在では館山を代表する織物のひとつとなっています。
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唐桟織とは?
出典:たてやまGENKIナビ
唐桟織は細い木綿の糸を使って織り出した織物で、主に着物の布地として使われています。
特徴は細かい縦じまの模様。
縦じまの柄は約130種類とも言われ、代々伝わる伝統のデザインから、現代に新しく作られるものなどもあり、有名な歌舞伎役者は自分のオリジナルの縦じまをオーダーすることもあるため、現代の着物文化には欠かせない織物となっています。
唐桟織は唐棧縞(とうざんじま)、棧留縞(さんとめじま)とも呼ばれ、江戸の半ばから末期には大流行となりました。
唐桟織の歴史
出典:無印良品
唐桟織がヒットした理由は、実は当時の政治と深い関係があります。
唐桟織が登場したのは「天保年間」。
庶民のぜいたくを禁止し、財政と規律を引き締めるという目的で行われた「天保の改革」の真っただ中でした。
当時は派手なものやお金のかかるものはすべて禁止とされ、それは庶民の祭礼や娯楽にもおよび、そのため歌舞伎役者が江戸を追放されるなどということも行われました。
その制限は庶民の服装にもおよび、派手で華美であるという理由から絹織物を着物として着用することも禁じられてしまいます。
そんな中、登場したのが綿織物である唐桟織でした。
派手ではないものの、渋い柄とデザインが大きくもてはやされ、当時の流行のファッションとなりました。
そんな唐桟織ですが、ルーツは実はインドにあると言われています。
安土桃山時代にオランダやポルトガルを通じて江戸に伝えられ、原産地であるインドの「サントメ」と、海外からの舶来ものを意味する「唐」が組み合わさり唐桟織と呼ばれるようになったと伝えられています。
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今では館山だけで作られる唐桟織
出典:南房総花海街道
唐桟織が館山に伝わったのは明治の初めごろと言われています。
当時、明治維新によって多くの武士が失業、その武士に職業訓練を行う「東京授産所」で川越の職人から唐桟織の技術を教わった齊藤茂助が館山に移り住み、唐桟織の工房を開きます。
その後、唐桟織は齊藤茂助の息子、またその息子にと受け継がれていきます。
やがて、日本の「民芸運動」を手動した柳宗悦(やなぎむねよし)が唐桟織を絶賛、唐桟織は一躍全国に知られるようになりました。
やがて唐桟織は昭和47年には文化庁の無形文化財に、昭和59年には千葉県の伝統的工芸品に指定されるようになりました。
現在では唐桟織の伝統を引き継いでいるのは齊藤茂助から数えて四代目となる齊藤裕司さんただ一人。
しかし、衰退しているわけではなく、現在でも唐桟織は非常に人気。
注文は引きも切らない状態で、反物の予約注文は2~3年待ちは覚悟しなくてはなりません。
唐桟織はこれまで一子相伝で伝えられてきたのですが、齊藤裕司さんは家に伝わっている技術をすべて公開し、唐桟織の魅力を広く発信し続けています。
アクセス
→唐桟織
住所:千葉県館山市長須賀48
TEL:0470-23-1509
交通アクセス
車
富浦IC~車で15分
電車
JR内房線館山駅西口下車~徒歩10分
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