館山北部には古より伝えられる祭りが存在する

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一口に館山といっても、その地方によって風土や文化は様々なものです。

館山の北部に注目して、その文化や土地の祭礼などをご紹介していきます。

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古くから栄えた那古地区

館山の北部に位置するのが「那古地区」です。

那古地区は北半分は山、南は海とちょうどバランスのいい場所で、古くから山の幸と海の幸に恵まれた場所。

那古地区で有名なのは「那古寺」。

ここは717年に開山した由緒あるお寺で、奈良時代に仏法の教えを広めた僧・行基が天皇の病気平癒を祈るため、この地で千手観音菩薩を安置したところ、天皇の病がたちまち治ったことから、それを感謝するために建てられたお寺だと言われています。

那古地区は古くからこの那古寺の門前町として栄えたため、祭礼も非常に盛んな土地柄。

特に東藤は那古地区の中でも伝統的に祭りへの意気込みが高く、那古地区で最初に山車を作ったのもこの東藤だと言われています。

そのため、東藤の山車は地域の誇りともなっていて、これまで何度も焼失したり売却されたりという憂き目に遭いながらも何度も再建され、現在は六代目と言われています。

この東藤の山車は、館山の山車や神輿などの彫刻を数多く手がけた木彫の一門、後藤流の初代である後藤義徳の作が彫刻されています。

テーマは豊臣秀吉が貧しい少年時代からやがて太閤に上り詰めるまでを描いた「太閤記」の名場面。

また館山の山車の頂点を飾る人形は千成びょうたんと豊臣秀吉、周囲に張り巡らされた幕は加藤清正の寅退治が刺繍されています。

館山の山車の中でも特に大きく迫力のあるもので「男山車」とも呼ばれているそうです。

また東藤は那古地区の中でも青年会の活動が盛ん。

結成は何と明治28年までさかのぼるといい、東藤で育った子供は、幼少のころから祭りの囃子に親しんで成長し、祭りへの情熱が世代を超えて受け継がれていきます。

一方、那古地区の中でも海に近い一帯である濱にも自慢の山車があり、こちらは地区にある厳島神社にもちなんで「弁天山車」と呼ばれています。

彫刻には神社の風景や、弁財天をはじめ恵比寿様や大黒様などの七福神が刻まれていますが、この山車の特徴は祭礼の際の引き回しです。

弁天山車は後輪の位置が工夫されているため、山車の前部を持ち上げながら山車を旋回させることが可能。

また、二尺(約60センチ)を超える大太鼓の音色も、祭り好きにとっては答えられないものだといい、勇壮な引き回しと祭り囃子が有名です。なお那古地区の祭礼は7月の中旬の土日に行われます。

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船形地区

船形地区は「崖の観音」などが有名ですが、古くから漁業が非常に盛んな地域で、現在でも時化のときなど船舶が避難に使用できる東京湾唯一の港に指定されるほど静かな港として古来から珍重されてきました。

また、日本三大うちわのひとつ「房州うちわ」が作られる町でもあります。

船形地区は漁業の町ということもあり、現代でも非常に祭礼を大切にしている地域ですが、そんな船形地区の自慢のひとつが、中心的な場所に位置する大塚の地域の山車です。

これは高さが約5メートル、人形を掲げるとなんと10メートルに達する巨大なもので、房総最大級といわれています。

言い伝えによると江戸末期に相模の国・浦賀で作られたもので、その大きさを聞き付けた船形の漁師たちが明治の中頃に買い求めたものだと言われています。

その後、後藤流の職人に彫刻を依頼し、現在の姿となりました。

この巨大な山車は柱や欄干などが龍や力士などの彫刻で埋め尽くされていて、山車正面からみると六重に施された彫刻は芸術作品。

現在でも船形・大塚の誇りとなっている山車です。

船形地区のお祭りの中心となるのは諏訪神社で、毎年7月第4土日には、周辺の地区から山車などが集まり盛大に行われていましたが、20戸7年3月に放火によって諏訪神社が全焼、今後の祭りの開催が危ぶまれています。

正木地区

正木地区は那古地区と隣接する地域ですが、この正木地区も歴史豊かな祭礼が行われている地域です。

特に正木地区川崎は、那古にも正木にも属さずに独自の祭礼を行っている場所。

2月には男オビシャ、女オビシャ、7月は「ほうとう祭り」8月には「盆踊り」、9月の本祭ではお浜出神事や神輿の渡御と、年に何度もお祭りが行われます。

また10月には「おのぼり」「おくだり」という行事が行われます。

「おのぼり」は神無月に神様が出雲に向けて旅ただれるのをお送りするもの、「おくだり」はお帰りになる神様をお迎えする日とされていて、この日は神様にお供えしたおむすびを子供たちが持ち帰ることになっているというのが決まりになっています。

子どもたちにとってはうれしいお祭りで、「おのぼり」も「おくだり」も、かつては安房の各地で見られていたようですが、現在では珍しいものになっています。

かつてのような形でそのまま残っている川崎のような場所は非常に珍しく、川崎の人の地区のつながりと、信心の深さを見ることができます。

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