西岬は海の恵みを讃える祭りが原点

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館山といえば海と太陽の光の街。

そんなイメージをそのまま体現しているのが、海に面した「館山西部」です。

この場所には昔の伝説が残っている場所も数多く、非常に館山らしいお祭りがたくさん行われています。

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館山のお祭りの原点

館山西部は西に突き出た岬の形から「西岬地区」と呼ばれています。

かつては周辺の集落を合わせて「西岬村」として存在していましたが、昭和29年に館山市に併合されて以来「西岬」という地名はなくなってしまいました。

しかし西岬の地元意識は、現在でも非常に強いものだと言われています。

それは西岬の地形と関係があります。

西岬は陸側は周囲を山に遮られた陸の孤島ではありながら、東京湾と太平洋に面した海運の面では、非常に重要な場所でした。

西岬に住む人は、海からやって来る多くの人を迎えながら、同時に陸上では閉ざされた土地で暮らしていくことが求められ、その過程で、人々の絆が他の場所以上に強くなっていったと考えられています。

また、西岬は館山市内にある11の漁港のうち、8つが集中している場所。

そのため、ここで暮らす人々は豊かな海の恵みを受けることができ、祭りを盛大に行う経済的な余裕も持つことができました。

そのためこの地域には昔から祭礼が非常に盛んで、しかもそれが現在にまで残されています。

洲崎神社の祭礼

西岬で有名なのが「洲崎神社」です。

洲崎神社は地域の信仰を集めているだけでなく、東京の神田明神や品川神社へも神様が勧進されたという説もある非常に由緒の正しい神社で、そのため例祭も非常に大がかりに行われます。

祭礼は三日間にわたって行われますが、江戸時代の文化9年(1812年)には、すでに現在と同じく三日間にわたって例祭が行われたという記録も残っています。

洲崎神社の例祭の中心となるのが「神輿渡御(みこしとぎょ)」と「みのこ踊り」。

神輿渡御は洲崎神社の神様が神輿に乗って山を下りる様子を表した神事。

洲崎神社は山の中腹に位置していて、非常に眺めがいいことでも有名ですが、その分、そこに上がるまでが一苦労。

階段も非常に急でしかも148段、斜度は30度という急な勾配です。

神輿渡御の神事は、「厄払い坂」とも呼ばれるこの急な階段を神輿が駆け降りていく見ごたえのあるもの。

しかもその途中では足場の悪い階段で神輿を担ぎあげたり、左右に振ったりという「もみさし」が行われ、見物の人々を沸かせます。

その後、神輿は浜に出て厳粛な神事が行われます。

かつては神輿ごと海に入るということも行われていたそうですが、現在では、安全面での配慮から海に入ることは禁止されるようになりましたが、今でも、神輿渡御は盛大な人気を集めています。

2日目におこなわれる「みのこ踊り」も洲崎神社の祭礼では非常に重要な行事です。

「みのこ踊り」は地元の小学生から中学生までの女子によって踊られる踊りで、悪霊払いと弥勒菩薩が海を渡って富をもたらす様子を表現しています。

これは県の無形文化財としても指定されている由緒のあるもので、洲崎だけでなく、波佐間にも伝えられる踊りです。

ちなみに波佐間では6月から7月にかけての祭礼で披露が行われます。

祭礼の3日目になると、今年も無事に神事と祭礼が終了したことを祝い、地域ぐるみで伝統芸能を披露する「芸能祭」が開催されます。

これは神事というよりも、地元の人たちがお互いの労をねぎらう非常に心温まるもので、西岬の人々の団結力を感じることができます。

館山観光 洲崎神社は女神が祀られるパワースポット

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ナタギリ神社のカッコ舞

西岬には、ほかにも由緒のある神社があります。

それが房総フラワーラインを挟んだ二つの神社、「海南刀切神社(かいなんなたぎりじんじゃ)」と「船越鉈切神社(ふなこしなたぎりじんじゃ)」。

この二つはもともとひとつの神社で、そのため二つを合わせて「ナタギリ神社」と呼ぶこともあります。

この両社に共通するのは「石」。

「海南刀切神社」には神様が手斧で切ったという二つに分かれた5メートルの巨石があり、「船越鉈切神社」からは縄文時代の遺物が発見された洞窟があります。

伝説によれば、かつて海から無人の丸木舟が流れ着き、その船は無人にも関わらず海を苦もなく進んでナタギリ神社まで到着したと言われています。

この丸木船は現在も残り、社の宝として信仰の対象とされています。

そのほかにもナタギリ神社の周辺には、洞窟に住む大蛇を相模の国から来た神様が退治したという話、洞窟に迷い込んだ犬がはるか離れた別の場所から現れたなど不思議な話が伝わっています。

それほど大きな神社とは言えませんが、このナタギリ神社は、館山にとって特別な存在であるといえそうです。

ナタギリ神社では、お祭りに合わせて「カッコ舞」という舞踊が奉納されています。

これは水不足の折に踊られる雨ごいの踊りで、踊り手は花笠をかぶった少女たち。

戦前までは渇水のときには周辺の集落をめぐって踊りを披露したということもあり、昔の子どもたちにとって舞い手に選ばれることは非常に栄誉なことだったそうです。

海南刀切神社かっこ舞

市指定無形民俗文化財 昭和45年8月26日指定

雨乞いの農耕儀礼で、毎年7月14日・15日の例祭に、神社の境内で奉納されます。

舞は

  1. 入れぶし
  2. 中獅子舞
  3. 牡獅子舞
  4. きりの舞

の順序に舞われます。

かっこ(3人)、ササラ(4人)、神縄持(2人)その他、弓持、太鼓打、笛吹等が一体となって、にぎやかに「かっこ」が乱舞します。

花笠をかぶった少女が増えに合わせてすり鳴らすササラは、雨の根をあらわすと言われます。

獅子頭をつけたかっこ舞者は腰につけたかっ鼓を打ちながら笛やササラに合わせて踊ります。

かつては東伝寺から行列をつくって行進し、踊りを奉納していましたが、交通事情により行列は中止しています。

引用:館山市教育委員会

館山の他の地域とは違って、どこか神秘的なムードが立ち込めている西岬の祭礼。

館山にお越しの際には、ぜひご覧になってみてはいかがでしょうか。

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